『家族の絆』とかを毛嫌いする理由

「どうしてそんなに『家族の絆』とかを毛嫌いしてるのか?」と思う人は、小さい頃から家族とかの周りの環境に恵まれていたんだと思います。
私の場合、親も兄弟も、敵でした。

親は、人を褒めない人間。
親が笑う時は、他人をあざ笑う時だけ。
民放ははしたないからと、NHKしか観ない。観てはダメ。
『ダメだダメだ』が口ぐせ。

とにかく、親から褒められた覚えはない。
おまえはダメだダメだと言われ続けて、ばかにされただけ。
重箱の隅をつつくように、ダメな部分を見つけられては、笑われたりばかにされたりした。

認めてもらうために、勉強も必死でやって良い成績を取ったり、スポーツも苦手だったけど自分なりにがんばった。
それでも、例えば、テストでクラスで一番の96点を取って、褒めてもらおうと親に見せても、「どうして100点じゃないんだ?!」と怒られてばかにされて笑われたり。
運動会で、100m走に出て、私としてはがんばって3位に入り、褒めてもらおうとしたけど、別の競技で下位だったことを指摘されて笑われてばかにされたり。
どんなにがんばっても、褒めてくれたことなんて、なかった。

上の兄弟からは、横暴にふるまわれた。
「みんなで食べなさい」と親が用意したお菓子を、ほとんど全部食べられてしまったり。
ビスケットはほとんど食べられてしまい、私にはビスケットの残りカスしか残っていなかった。でも私は文句も言えず、残りカスを指でなめて食べていた屈辱。
上の兄弟は、そんなことを平気でしたし、私に対しては何とも思っていなかった。それが当然、というように。
あとは、私が写生会で賞を取ったことが嬉しくて、その絵を部屋に飾っていたら、生意気!と、その絵をビリビリと破られたり。さすがに唖然とした。でも、私が怒っても何を言っても、例えば地べたに這う蟻が何か言ってる、みたいにしか思っていない。
とにかく、兄弟の一番下ということで、何も知らない、小さな子ども、と、とことんばかにされた。
そんな環境だったので、『家族の絆』『兄弟の絆』とかいう世間の声に、「そんなものは本当に存在するのだろうか?」と疑うばかり。
家族だから? 兄弟だから? 血がつながっているから?
だからこそ、ひどいことができるんじゃないの? だからこそ、憎しみ合ってとことん傷つけ合うんじゃないの?

とにかく小さい頃から、いつもなんだか息苦しかった。
生まれ育った家や田舎町は、まるで牢獄みたいだった。

『ただ生きてるだけじゃだめなんだ』
でも、どうがんばっても認めてくれない。
『自分は生きてる価値がない、もう死んじゃったほうがいいんじゃないか?』と漠然と思い。
『自分は、この世にいてはいけない存在』『この世にいなくてもいい存在』と思うようになり。
実際に、親からは「誰のおかげで食わせてやってると思ってるんだ?!」というプレッシャーが常にあり。
「あんたがいるだけで金がかかるんだよ」みたいなことも言われたこともあったし。
中学、高校に上がっても、『自分はこの世にいてはいけないんじゃなか?』感はずっとつきまとい、高校の頃には本格的に学校もうまくいかなくなり、「もう疲れた」となり。

でも結局、死ねませんでした。
もう、死ねないなら、生きてくしかないんじゃないか?
でも、今後も生きてくつもりなんて全然なかったから、途方にくれた。
どうやって生きていけばいいか、分からなかった。
周りと同じように『普通』のふりを必死でして、ふるまっていただけだった。

世間では、『家族の絆』とかなんとか言うけど、そんなものなんてないんだ、と思った。
元々、そんなものなんて、ない。
そんなのは、世間が勝手に作り上げた幻想なんだ。
そう思うことにした。
そう思ったほうが、自分が楽になれるから。

大人になってからも、息苦しさは変わらず。
救いを求めるように、いろんな本とか読んだりして。
『自分は、自己肯定感の低い人間なんだ』
『自己肯定して、自分が自分を認めたらいいんだ』
そう気付いたのは、大人になって、随分経った頃。

でも、今でも、自己肯定できているか、あやしい。
今でも、小さな子どもの頃や、冷たい寒い夜にいる気分になってしまうことがある。
大人と言われる年になっても、全然、成長していない気がする。
そう思うと、凹む。

❰おわり❱