夏魚、空を行ってみる

Thank you very much for the beautiful time!

クリームシチューと肉まん

それらは全部、過去のことなんです。
でも、それらは、自分の中にある、自分でもどうにもならないどす黒い部分。
ずっと考えてきた、『死ぬこと』も、そのうちの1つ。
今回は『死ぬこと』(自死すること)について書きます。

『死ぬこと』を、フワフワとした感じで眺めていたわけではありません。
だいたい、リスカとかODとかは、フワフワした行為だと思う。
リスカやODとかを、『死にたい人がすること』と、豪快に誤解している(小説の中とかでも)のを見かけたりするので、それは違うと思いますよ、と言いたい。
リスカは、腕を切って死ぬための、ためらい傷なんかではなくて、生きたいがための自傷行為なんですよね?
そんなの恥ずかしいから私はやらない。やろうとしたこともない。
ODだって、もしかして、というより、かなりの確率で助かってしまう。
それも生き恥さらすようで恥ずかしいって思う。
というか、本当に死ぬなら、確実に死ねる方法が、もっとたくさんありますよね?

それに、『死にたいと思うこと』が、苦しみのバロメーターではないと思います。
この世には、死ぬよりも苦しい、つらいことなんて、山ほどある。
「生きてるだけで丸もうけ」って思える人ほど、『死にたいと思うこと』が理解できなくて、死にたいと言う人や自死した人のことをまるで腫れ物にさわるみたいに扱うような気がする。
それか、“この世は生きてるだけでスバラシイと思っている、自分たちの想像の範囲内”で推測や憶測したりして、ちょっと口出ししたり、遠巻きに眺めている感じ。
本当のところは、本人にしか分からないのに。
苦しみなんて、当人にしか分からないのに。

だいたい、本当に死ぬ人は、何も言わないで、黙って死んでいきます。
個人的な話、小さい頃の話。
その人、仮にAちゃんと呼びます。
Aちゃんだけは、小さい私を子供扱いしてばかにしたりしない、唯一の大人でした。
『Aちゃん』と当時、呼んでいたけど、Aちゃんは年齢的には、随分と『大人』でした。
まだ私が本当に小さい頃、Aちゃんは私に、「夢は、あきらめちゃだめだよ」と言ってくれた。
その時の私は、「どうしてそんなこと言うの?」と思った。
「だって、夢は、願えば、かなうんでしょ?」
その頃の私は、まだ、テレビの中とかの、夢の国で言ってることなんかを信じていた。たぶん、サンタクロースが本当にいるとまだ信じていた頃。
Aちゃんは、とても悲しそうな顔をしていた。Aちゃんは、「本当はやりたかった夢があったけど、かなえられなかった」と打ち明けてくれた。
Aちゃんは、クリームシチューが作るのが得意で、遊びに行くと、いつもふるまってくれた。

それから何年か経って、Aちゃんが亡くなったことを知らされた。
突然のことだったので、本当に呆然とした。病気を患っているとか、そんな予兆もなかった。
自死した、と伝え聞いた。
寒い寒い時期だった。
私はただ、「どうして誰も助けてあげなかったの?」と、周りの大人たちやこの世界を憎んだ。
「どうして、助けてあげられなかったんだろう」と、自分を責め続け。
でも、まだガキだった私には、たぶんどうしようもなかったんだと思う。と、そうやって、自分で自分を抑え込んで、どす黒い感情にふたをするしかなかった。
それでも、そのふたは、ガタガタと開こうとする。
「私にも、何かできることがあったんじゃないか?」
「もし、もっとAちゃんのところに遊びに行ったりして、あの美味しいクリームシチュー作ってよ、って言ってたら、死のうとは思わずに済んだかもしれない」
罪悪感やら何やら、どす黒いものが渦巻いて、でもどうしようもなくて、結局は、周りの大人たちとかこの社会のせいにした。
どうして誰も助けてあげられなかったの?!

その後、私も死ぬことを漠然と考えるようになった。
学校もうまくいかなくて、ついには、もうだめだ、と私も本当に実行しようとした。
高校の頃だった。
それまで、どす黒いものを吐き出していた日記とかも、全部破いた。
「こんなんあったら、自分が死んでから発見されたら、いやだから」と、それまで書いてきた日記の類を全部、ビリビリに破いて捨てた。
それから、ここらの田舎町で一番高い建物から飛び降りたら死ねるとずっとずっと思っていて、あの暗い寒い夜、その建物に行った。
誰にも見られないように、階段を最上階までのぼった。
でも、いざ、という時に、身体がぶるぶると震えて、動かなかった。
精神的には『もう死のう』と言っているのに、身体が全然動かない。
身体は、全身で言っていた。
『死にたくない!死にたくない!死にたくない!』
そのことに、自分でも愕然とした。
――え? 死にたくない?
――今さら、何、言ってんの?
結局、身体の言うがまま、建物から降りた。
その帰り、コンビニで肉まんを買って食べた。それも、身体の言うがまま。
でも、その肉まんがやたらとあたたかくて、なんだか涙がぼろぼろとこぼれた。
死ねなかった自分が情けなかった。
でも、身体は全身で安堵しているようだった。
コンビニの外の暗闇にうずくまって、ぼろぼろ泣きながら、がむしゃらに肉まんを食べた。

それ以降も、死ぬことを考えることはあった。
でも、実行するまでには至らなかった。
『死ぬこと』は、手が届きそうだけど、もうちょっとで届かない所にあった。
大人になって随分経ち、すでに『死ぬこと』は、諦めた。

それでも、ふとした時に、思う。
そうか、夢って、願えば叶うわけじゃないんだ。そもそも願うだけで叶うなんて、そんなことありっこない。星に願いごとを唱えるだけで叶うなんて、そんなこと現実にはありっこない。
そうか、Aちゃんは、冬を越えられなかったんだ。
Aちゃんの作った、クリームシチューが食べたい。
でも、もう絶対に食べられない。Aちゃんしか、作れないから。
Aちゃんは、もうこの世にいない。
あれから随分と経つのに、時々、寒くて暗い夜にいるみたいに思う。

❰おわり❱