夏魚、空を行ってみる

アニメ好きによるアニメ感想、つぶやき、空想など

ハン・ソロ(映画『スターウォーズ』)に納得した「親は聖人君子じゃない」

「そうか。親は、聖人君子ってわけじゃないのか」
「親だって人間なのか」
と、すとんと納得したのは、ハン・ソロの生きざまを見届けたからだった。
映画『スターウォーズ』エピソード7(2015年12月公開)を観て、ようやくそう思った。
ということを、思い出した。

ちなみに、俳優さんを好きになるのは、その映画なりドラマなりの中のキャラクタに惚れ込むから。
だから、例えば、「その俳優さんだったら、○○○っていう映画とか、△△△っていうドラマにも出てるよ」と言われても、それぞれの劇中のキャラクタが魅力的でないと、「う~~ん」で終わる。そりゃそうだ。○○○っていう映画の中のキャラクタと、△△△っていうドラマの中のキャラクタは、全然別の人格。たとえ、俳優さんが同じでも。
映画『スターウォーズ』シリーズを観て、ハン・ソロ(=ハリソン・フォード)が好きになった。
インディ・ジョーンズ』シリーズも、すごくおもしろくて大好きだけど、それはインディ・ジョーンズという主人公や物語がおもしろかったし魅力的だったから。
ハン・ソロと、インディ・ジョーンズは、別の人格。
でも『インディ・ジョーンズ』(=ハリソン・フォード)で、やっぱりハン・ソロを思い出してしまったりして。

前置きが長くなりましたが。
映画『スターウォーズ』エピソード7を観て、心のどこかで、ウズウズと渦巻いていたものが、すとんと腑に落ちた。
そうか。
親だって人間なんだ。間違うこともあるし、感情的にもなる。そもそも、うまくいかない人生や、コントロールできない子供に苛立ったり、子供に八つ当たりすることもあったかもしれない。
親だって、聖人君子ってわけじゃない。どんなに極悪非道な人間でも、どれほど自己中心的な人間でも、どんな人間でも、親にはなれる。
そんなことが、ようやく心から理解できた。
随分と、時間がかかったけど。

映画『スターウォーズ』について

映画『スターウォーズ』初期3部作(エピソード4~6)との出会いは、中学頃だったかな?
当時、SFにハマって(浅かったかもしれませんが;)、「SF映画といえばこれ!」という、この映画の存在を知り。
試しにレンタルして観たら、ズボ!とハマってしまい。
何度、繰り返し観たか。
物語自体も、スケールの大きさや、手に汗握る展開、バトルシーン、斬新な映像。ワープするシーンなんかは本当にゾクゾクした。それから、個性的で魅力的なドロイドたち。特にR2が好きだった。頑固だったのは実は有能で忠実だったから。可愛いすぎ。
などなど、語りつくせませんが、ここでは、登場人物について。
レイア姫ハン・ソロ
この2人の組み合わせが、本当に好きだった。
まだ子供だった当時、甘々な王道ストーリーとかしか観て(読んで)こなかった私にとって、レイア姫は衝撃的だった。
自ら銃を持って戦い、ガンガン活躍。若くて美しいのに、地位もあって、常に毅然として、敵と対峙。敵に捕らわれても、守るものは守る。機転も効くし、度胸もある。
それまで見てきた、女主人公の、“男性に守ってもらう”“ステキな男性と結ばれてハッピーエンド”みたいな流れではない。
か、かっこよすぎ、レイア姫!!
そして、ハン・ソロ
正統派ヒーロー的なルークに対して、密輸とかなにやらヤバいことしてるし金儲けのことばかり考えてる。「金にならないことはやらねーよ」と出て行くけど、うっかり戻ってきてルークをナイスアシストしたり。それでうっかり地位に就いたり、うっかりレイア姫に惚れてしまい……。
敵に捕まってしまい、冷凍されて「もしかしたらこのまま死ぬかも?!」って時に、レイア姫に思わず「I love you」と言われる(言わせた?)けど、「俺もだ」でも「うれしい」でも「I’ll be back」でもなく(←それはターミネーター)、「I know」と言っちゃう。そんなこと言えちゃう人なんて、銀河系を見渡しても、ハン・ソロしかいませんよ。
そんな2人が、まとめて大好きでした。

続編(というか時系列では過去の物語)の、エピソード1~3ももちろん観ましたが、アナキンが主人公の1~3よりも、やっぱりレイア姫ハン・ソロ、ルークたちが主人公のエピソード4~6が好きでした。

  f:id:natsusakana777:20171029013755j:plain

そして、時は流れて、再び続編の公開となり。
『エピソード7』で、年を取ったハン・ソロハリソン・フォード)が出てきた時は、もうそれだけで涙が出てしまった。
しかも、カメオ出演かと思っていたら、かなりガッツリ出演。
そして、同じく年を取ったレイア姫が出てきて、ハン・ソロと再会するシーンで、もうボロ泣き。
そして……ハン・ソロの末路にやっぱり泣きに泣き。
もう、ホント、泣いた。
しばらく落ち込んだくらいに。

ハン・ソロの生きざまから学んだこと

ハン・ソロは、父親としては失格だったかもしれないけど。
でも、ハン・ソロは、『そういう生き方しかできなかった』のだな、としみじみと思った。
ハン・ソロがまだ若い頃(映画の中ですが)から観てきたから、今なら分かる。
ハン・ソロは、ただ、どうしようもなく不器用で自己中で、まっとうな生き方ができなかった人だったんですよ。その後、結局、“銀河のならず者”に戻っていったけど、でも『そういう生き方しかできなかった』んです。
そんなハン・ソロの、全然ブレない生き方に、余計に好感を持ってしまったりして。
人間って、そんなに簡単に変わらないし、変えようとしてもそんな簡単に変えられない。もちろん、他人を変えることなんて、できない。「おまえ、このままじゃだめだろ!」などと言って、誰かがどんなにハン・ソロを変えようとしても、ハン・ソロは変わらずにハン・ソロなんです。
レイア姫だって、それは充分、分かっていたはず。理解していたはず。
親だって、人間の心を持った、人間なんですよ。完璧でも聖人君子でもない。
親を美化しては、いけない。

それに、『親は子供を愛さないといけない』という決まりはないわけですよ。
『親は、子供を愛さなければいけないという義務も法律もない』のですよ。
子供のほうだってそう。
『子供は、親を愛する義務や法律もない』わけです。親を敬わなければならないという義務もないし、親孝行しなければいけないという義務もない。
親に愛されなかったとしても(そう感じてしまっても)、それでもいいのですよ。親に対して、“俺を愛さなかったくせに!”などと、憎むことなんてないのですよ。

カイロ・レン、おまえ、
それでおまえ自身が楽になったのか?
おまえは楽になれたのか?
どうなんだ?
今後、彼がどうなるのか、分かりませんが。
おまえなんて、地獄へ堕ちろ!!
……私が言うのもなんですが。

というか、こんな展開にしてほしくなかった。こんな展開、見たくなかった。
レイア姫が……(泣)。
「親を殺したい」と思うのと、「実際に殺す」との間には、なんだか深い溝があるような、紙一重のような。
というか、「実際に殺す」のではなくて、「親も『ただのしょうもない人間』なんだ」という現実を認めて、自分から切り離して、距離を置いて、やがては越えていく、というのが普遍的な方法ではないか?
カイロ・レンだって、もうガキじゃないんだから(彼が10代くらいだったらしょうがないと思いますが)、そのくらいは分かるはず。
なのに。
カイロ・レン、そんなんじゃ、『血筋』しか拠り所がない、小者のままですよ? どこぞの独裁国家のトップみたいに。たいして実力もカリスマ性もないのに、拠り所が『血筋』のみ、だから周りの誰も信じられなくなって、次々と殺していく、みたいな。
彼は、暗黒界のトップに利用されるだけされて、最後にはポイ捨てみたいにされるのがオチだろうかと。そうなっても、しょうがないと思う。
でも、何度も言いますが、そもそも、こういう展開は見たくなかった。こういう展開にしてほしくなかった。
ハン・ソロの末路が、あんまりだ。
どうせなら、ハン・ソロは、戦いの中で命を落とした、とかにしてほしかった。なんなら、レイア姫をかばって、とか、息子をかばって死んだ、とか、華々しい散り方をしてほしかったのに。
せめて、レイア姫に看取ってほしかった……(泣)。

ダース・ベイダーについて

『エピソード7』を観に行く前に、“復習”として、初期3部作(エピソード4~6)を久しぶりに観た。
そしたら、エピソード6のラスト付近のシーン、子供の頃に観た時は、「なんでダース・ベイダー、改心したの?」「展開が都合良すぎ!」とか思っていたのだが、大人になって改めて観ると(もちろん、エピソード1~3もふまえて)、そんなダース・ベイダーの行動に、めちゃくちゃ泣いてしまった。
「そうか……ダース・ベイダーも、アナキンだった頃の心が少しでも残っていたのかも」「自分の子供の成長を見てきたわけではないけど、ルークに対して少しでも親心があったのかも」「もしかして、ダース・ベイダー自身、ルークやレイアの存在にすくわれたのかも」などなどと思うと。泣けた。
アナキンだって、根っからの極悪非道な人というわけではなかったし。むしろ、“特別”な人だったわけで。
でも、行き違いや、心の弱さもあって(誰だってありますよ)、道を踏み誤って、ダークサイドに墜ちてしまい……。
そんなダース・ベイダーを“悪!”として完全には憎めなくなっていた。

親は聖人君子ではない

ぶっちゃけ、野生の動物に人間並みの知識なんかがなくても、子孫は残せる。地球が太陽の周りを回っていることを知らなくても、星座の名前を全部言えなくても、英語がペラペラじゃなくても、お盆に帰省しなくても、オケラだってあめんぼだって、親になれる。
私の“親”に対する期待値が高すぎたのか。
“親”に対して、何もかも求めすぎたからか。
“親”がそれほどまでに、絶対的なものだと思っていたのか。
とりあえず、親が憎くてしかたなかったあの頃、親を殺さなくてよかった。

自分の中の“小さな子供”がひそかにずっと暴れまくっていたけど、おい!と首根っこをつかまえる。
「親だって、人間なんだよ。完璧なんかじゃない。聖人君子なんかじゃない。間違うこともあるし、自己中だし、最低な人間でも仕方ないんだよ」。
「おまえはもう、小さな子供じゃないだろ」。
“小さな子供”が、ようやく顔を上げる。

そうか。私はもう、小さな子供なんかじゃない。

❰おわり❱